受験生の心の中へ
その二:思索の道を行く
嵐山を歩くことは、医学部受験を目指す浪人生にとって、日々の緊張と焦燥を解き放ち、心を解きほぐすひとときとなるでしょう。試験への不安と期待が入り交じるその胸中で、嵐山の自然は柔らかな息吹を与えます。四季折々に表情を変える竹林の小径、渡月橋から眺める大堰川の清流、風にそよぐ桜や紅葉は、日常の喧騒を忘れさせ、静かに自分と向き合う時間をもたらします。
一歩一歩、足を運ぶごとに、自然の懐深い抱擁に包まれる感覚は、受験のプレッシャーから解放され、心を澄ませ、思考を整理する機会となるでしょう。また、古くからの文化と歴史が息づく嵐山の地は、人々の夢と挫折、努力と栄光を静かに見守ってきた場所。そこに身を置くことで、受験という長い旅路も、ひとつの人生の風景であることに気づかされるはずです。
医学部への挑戦は果てしなく険しいものですが、その道中にある嵐山での散歩は、自然と対話し、自分自身を見つめ直すことで、精神的な安らぎを得られ、新たな一歩を踏み出すエネルギーを与えてくれる。まるで、森の静けさに包まれた中で、医学という「命」を扱う道を歩む覚悟を、自然がそっと後押ししてくれるような、そんなかけがえのない時間なのです。
嵐山の風景は、受験勉強に追われる浪人生にとって一瞬の安らぎを与えてくれる場所だった。京都の秋が深まり、木々が紅葉に染まる頃、彼はふと嵐山に足を運んでみようと思い立った。
桂川にかかる渡月橋は、彼の目の前でゆったりとしたアーチを描き、その向こうには鮮やかな赤やオレンジ、黄金色に輝く木々が広がっていた。川面に映る木々の色彩は、水が流れるたびに揺れ動き、まるで絵の具を垂らしたキャンバスのように移ろっていく。渡月橋の上に立ち、彼は風に吹かれながらその美しい景色をぼんやりと眺めていた。試験勉強の重圧から解き放たれ、自然の中に身を置くことで、自分がほんの小さな存在に思えた。
「合格するかどうかなんて、今はどうでもいいんじゃないか」と一瞬思うほどの穏やかな時間が流れる。彼の周りには観光客の笑い声や、川下りを楽しむ船の音が響き、まるで別世界のように感じられた。
彼は、橋を渡りながら、対岸の竹林へと歩みを進めた。竹林の小径に入ると、周囲の空気がひんやりと変わり、竹の隙間から差し込む淡い光が彼の足元を照らした。風が吹くたびに竹がさやさやと揺れ、独特の音を奏でる。その音は、彼の胸の奥で渦巻いていた不安や焦りを少しずつ溶かしていくかのようだった。
「頑張っても、無理かもしれない」そんな思いが何度も彼の頭をよぎる中、嵐山の風景は静かに彼を励ましているように感じられた。「今はただ、前を向いて歩くしかない」そんな気持ちにさせてくれる不思議な力があった。
嵐山の竹林に一歩足を踏み入れると、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚になる。風に揺られる竹の葉が、さやさやと優しい音を立て、どこまでも続く緑の空間が心を洗う。受験勉強に追われる日々の中、ここでのひとときは心のオアシスとなる。医学部を目指して浪人を続ける彼にとっても、この場所は特別な意味を持っていた。
今日も嵐山を歩きながら、ふとある数学の問題が頭をよぎる。
$$
\begin{cases}
x = 6\cos{\theta} – \cos{6\theta} \\
y = 6\sin{\theta} – \sin{6\theta}
\end{cases}
$$
この問題の美しさと難しさが頭から離れない。θが角度をとりながら、xとyが描き出す軌跡。それはどんな形になるのだろうか。竹林の中で歩を進めながら、頭の中では方程式が繰り返し繰り返し描かれていく。6という数が何を意味しているのか、そしてcosやsinの振る舞いがこの嵐山の静かな風景と妙に重なって見える。
風が通り抜け、竹がささやきかけるたびに、θが変わりゆくイメージが浮かぶ。小刻みに変化するθは竹の隙間から差し込む陽の光のように、少しずつ形を変え、彼の心の中で滑らかに曲線を描いていく。全ての点が何かの法則に従って動いている。その神秘的な軌跡の先にあるもの、まるで医学部合格という目標のように、手を伸ばせば届きそうで、まだ遠い。
嵐山の景色は彼にとって、ただのリフレッシュの場ではない。こうして考え事をしながら歩くことで、自分自身と向き合い、そして少しずつ成長していく時間でもある。この問題の解はまだ見えてこないが、竹林の中で考えを巡らせるこの時間が、やがて彼にとって大きな糧となるだろう。

嵐山の竹林の道を一人で歩きながら、秋の空気が肌に心地よく触れる。竹の青々とした緑が目に映り、風がそよぐたびにサラサラと音を立てて揺れる。その音はまるで、自分の心を静かにしてくれるかのようだ。だが、その穏やかな景色の中でも、心の中は嵐のようにざわついている。
昨晩の父親との口論が頭から離れない。「医学部なんてやめて、もっと現実的な選択をしろ」。父の言葉がまるで呪いのように、何度も何度も心の中で繰り返される。今まで自分の夢を応援してくれていたはずの父が、なぜ急にそんなことを言うのか理解できなかった。父は自分の将来を心配してくれているのだろうか、それとも自分の努力が報われないことへの苛立ちなのか――どちらにせよ、自分の決意が揺らいでしまうような気がしてならない。
足元を見ると、石畳の間から小さな草が力強く生えているのが見えた。そのたくましさに少し勇気をもらう。医学部合格を目指してもう一年勉強してきたこの努力が無駄になってしまうのか、それともこの竹林のように真っすぐ進んでいけるのか。自然の中を歩くことで少し冷静になろうとするが、頭の中は相変わらず父親との会話でいっぱいだ。「あの時もっと自分の気持ちをちゃんと伝えられていれば…」。心の中でそう呟きながら、ふと立ち止まり、竹林の向こうに見える遠くの山々を見つめる。
嵐山の景色はいつ見ても美しい。しかし、その美しさが今はむしろ切ない。父親と分かり合えないもどかしさ、そして自分の夢への迷いと不安。それらが入り混じり、竹林の中を歩くたびに胸が締め付けられる。風に吹かれるたびに、まるで父の声が風に乗って耳元でささやかれるような気がして、立ち止まることができず、ただただ前に進むしかなかった。
嵐山の帰り道、彼はまた勉強に戻る覚悟を決めた。紅葉の美しさや竹林の静けさは、ほんの束の間だったが、その風景に触れることで、自分の中に残っていた迷いや不安が少し和らいだような気がした。そして、「頑張ろう」と、彼は再び医学部合格を目指して机に向かう決意を新たにした。
嵐山は、心の浄土だ。
緑が瞳を洗い流す。
川のせせらぎは、焦りを静める。
山の頂きは、志を映し出す。
歩みは、迷いを削ぎ落とす。
風が吹く。深く息をする。
その瞬間、心の錆が落ちる。
苔むす石の冷たさは、現実の重みだ。
踏みしめるたびに、覚悟が固まる。
嵐山での散歩は、心の鍛錬。
自分を見つめ、未来を夢見る場所。
勉強に疲れたら、自然の声に耳を傾けよ。
嵐山は、夢への道標だ。
進学塾ビッグバン講師
米満陽子
数学や理系の分野を専門としながらも、独自の視点で幅広い学問領域に精通している人物であり、特に言語の分野においても卓越した才能を持ち合わせています。日本語に加え、英語ともう一つの言語を流暢に操り、三か国語に熟達していることから、その多言語能力を駆使してさまざまな文化や思考様式に触れ、それを自身の知識と洞察に取り込むことで、独自の文章力を培ってきました。そうした多角的な視点と高い言語運用能力は、専門分野である数学的思考や論理的な分析力と相まって、豊かな表現力と説得力を備えた文章を生み出す原動力となっています。
特に小論文の指導においては、理系特有の論理的かつ明快な思考法と、多言語にわたる表現の巧みさを融合させ、学生たちの思考の整理と構成の技術を引き出す指導に定評があります。論理の展開方法や説得力のある主張の組み立て方、さらには異なる文化的視点からのアプローチまで、幅広い視野での指導が可能であり、その結果、生徒たちの文章表現力向上に大きな効果をもたらしています。数学の専門性と語学力を活かした独自の指導法によって、多くの学生が自身の考えを的確に言語化し、効果的に伝える力を身につけているのです。その指導の質の高さから、専門性を生かした論理的な思考の訓練と、豊かな表現力の育成の両面で高く評価されています。